Interview Relay ~42のストーリーで想いを繋ぐ~
My Tokyo Marathon is…? 私にとっての生きがい
- 走る人

東京マラソンへの想いを42のストーリーで繋ぐインタビューリレー。
今回は脳科学者の茂木健一郎さんです。
東京マラソンは2015年に初完走を達成し、2018年からは国連UNHCR協会のチャリティランナーとして毎年出場している茂木さん。チャリティランナーとして走ることで伝えたいこと、走ることは脳にどのような働きがあるのか、そして2027年に節目の20回を迎える東京マラソンに期待することなどについて伺いました。
走ることで脳が整い、創造性が育まれる

――茂木さんは普段の生活の中でランニングをどのように取り入れているのでしょうか。
最初にフルマラソンを走ったのは40歳の時、つくばマラソンでした。人生をグライダーに例えると、ここから体力が落ちていくんだろうなと思ったんです。低空飛行のままだと本当にガクンと落ちちゃうと思ったので(笑)、40歳ぐらいから体力を上げていかないといけないなと思ってフルマラソンを走りました。それから少しブランクが空いたのですが、東京マラソンを初めて走ったのが2015年。フルマラソンは本当、大変です(笑)。
普段の走り方としては、だいたい朝に走っています。時間があれば10kmぐらいで、ない時はベストエフォートで走れるだけ。一番短い時で近くのコンビニまでの往復を走るみたいな感じです(笑)。あとは「旅ラン」をよくやっていますね。どうしても国内外の出張が多いものですから、出先でランニングして、それをYouTubeにアップしたりしています。なので、比較的よく走っている方かなと思いますね。
――ランニングは脳にとって良い効果、働きなどはあるのでしょうか?
ランニングは心身の健康が良くなるというのは当然なのですが、脳科学的な観点から言いますと、デフォルト・モード・ネットワークという脳のネットワークがありまして、これは脳がアイドリングの状態になった時に初めて活動するものなんですね。
デフォルト・モード・ネットワークの活動では何をしているのかと言いますと、自分の記憶を整理したり、感情のメンテナンスをしてくれたり、座禅や瞑想に似た効果があるとされているんです。僕はどうしても朝から分刻みで忙しくてコンピューターやスマホの画面を見ているスクリーンタイムが多いので、走っている時間はデジタルデトックスと言いますか、頭を空っぽにしてデフォルト・モード・ネットワークを活性化させる時間として非常に貴重な時間となっています。
その時に意外とひらめきや発想が浮かぶんですよね。これはランナーの皆さんがそうだと思うのですが、自分の人生の整理なども色々とできて、とても有意義な時間だなと思いますね。
――確かに、ランナーの方に話を聞くと、「走っている時間は頭が整理される」ということを皆さんがおっしゃられています。
ええ、それがデフォルト・モード・ネットワークですね。現代人は特に普段から情報過多なので、ウォーキング、ランニングは脳のメンテンナンスという意味でもとても良いのかなと思います。
以前、酒井雄哉さんという千日回峰行を2度も行った方と対談したことがあります。千日回峰行というのは千日間、山の中を歩いて修行するのですが、それを2度も行った酒井さんから「歩行禅」という言葉を伺いました。ただ、千日回峰行は歩くというよりもトレイルランに近いんですね。ですから、千日回峰行という仏教界の最高峰の修行をされた方もランニングをして脳を整えることを取り入れていらっしゃるんですよね。
――走ることで脳がデフォルト・モード・ネットワークの活動に入り、いわゆる「脳が整う」状態になる、と。
そうですね。ただ、デフォルト・モード・ネットワークの存在が詳しく分かってきたのは、実はここ10年ぐらいのことで、脳科学的にも非常に新しい知見なんですよ。というのも、脳科学は今まで「こういうことをしている時には、ここが活性化する」という研究でした。例えば、物を見ている時には脳のここが働く、話を聞いている時にはここが働くとか。でも、デフォルト・モード・ネットワークは逆なんです。「何もしていない時に活動する」という、逆転の発想だったので発見が遅れたんですよね。ですが、ここ10年ぐらいは、心身のバランスを保つことや創造性と非常に深くかかわる回路として注目されています。ですから、走ることによって創造性を育むことができると思うんですよ。
小説家の村上春樹さんもランナーとして非常に有名ですよね。私たちの業界に近いところですと、コンピューターの原理を全て作ったアラン・マシスン・チューリングさんというイギリスの偉大な数学者がいます。チューリングさんは有名なマラソンランナーで、もう少しでオリンピック代表になるくらいガチなランナーだったようです(笑)。
なので、長距離を走るということと創造性にはどうも関係があるようだということは以前から経験的に言われていたことですが、デフォルト・モード・ネットワークの研究によってそれが裏付けられてきたということでしょうね。
難民問題を考える、その気づきになれば
――茂木さんは2018年から国連UNHCR協会のチャリティランナーとして東京マラソンを毎年走られています。チャリティランナーとして走るようになったきっかけ、背景などを教えていただけますか?
もともと国連UNHCR協会の方とご縁がありまして、難民の問題を皆さんに広く周知するお手伝いをしていました。難民問題を考えることはすごく大事なことなのですが、日本ではまだまだ認識が薄い。そうした活動の中である日、僕が「実は東京マラソンに出るんです」と話したら、「じゃあ、私たちのチャリティランナーとして走ってみませんか」とお誘いをいただきました。それがきっかけですね。
――2018年からチャリティランナーとして毎年、東京マラソンに出場されている中で思い出に残っているストーリーはありますか?
やっぱり、雨が降った2019年。あの時は大変でしたねぇ。ずっと雨が降っていたので皆さんもびしょ濡れだったのですが、ただ、走ってみれば大丈夫でした。どうなるんだろうと思ったのですが、風邪もひかずに最後まで完走することができました。それが一つの思い出ですね。
あと、これは例年のことなのですが、沿道の皆さんの応援は本当に力になりますよね。特に「Y.M.C.A.」。あの曲が流れてくると、疲れているのですが、サビの部分になると踊っちゃいますよね(笑)。
それから、東京マラソンと言えば、やはり東京各地の名所を走れること。普段住んでいてもなかなかないことですので、そういう意味では本当にプレミアム感があふれるマラソンだと思いますね。
――茂木さんがチャリティランナー、そして国連UNHCR協会チャリティアンバサダーとして伝えたいことを教えてください。

日本はありがたいことに今、平和な生活を享受できていますが、世界を見ると各地で戦争、紛争が起こっていて、社会的な事情によって難民となってしまった方がいらっしゃいます。いつ自分が難民になってしまうかなんて、分からないですよね。なので、難民の方の苦しさ、つらさをもう一度みんなで考える――これは脳科学的に言いますと、アウェアネス、気づきをあげるということになると思いますが、社会的に非常に意義のあることに気づいていただくきっかけになるのではないかと思って毎年走っています。
また、自分自身にとっても、あらためて難民問題を考え直す時間にもなっていますね。ちょっと陳腐な例えになってしまうのですが、マラソンを走っている今の自分は苦しくて完走するのも大変なんだけど、世界にはもっと苦しい思いをしている人がいるんだと、思い直すきっかけになっています。
走ることはAIにはない人間の生きている証し
――東京マラソン財団は、ランニングやスポーツを通じて⽣活者の健康増進をサポートするとともに、ランニングを起点として暮らしと街の環境を整えることで、よりよい社会を目指しています。
そして「⾛る楽しさで、未来を変えていく。」をテーマに、「⾛る楽しさで、⼈と⼈をつなぐ。」「⾛る楽しさで、健康な毎⽇をつくる。」「⾛る楽しさで、社会をよくする。」という3つのミッションの実現を目指しています。それについてどう思われますか?
脳科学者として私が思うのは、ウォーキングやランニングをもっと皆さんにやっていただきたいなということですね。例えば、社会で非常に大きな問題となっている認知症。この認知症の予防に関してウォーキング、ランニングは非常に効果があるということがエビデンスとして分かっているんですね。ところが、厚労省の調査によると、定期的に走る習慣がある人は数%もいないようなんですよ。確かに、私が住んでいるエリアで走っている人は僕を含めた常連しかいない(苦笑)。走ることで健康寿命を延ばすという意識を一人ひとりの方が持って、運動習慣を取り入れてほしいなと、脳科学者として以前から思っているところです。
一方で、絆やコミュニティづくりという意味でもランニングは素晴らしいですよね。特にボランティアの皆さんには本当に毎回頭が下がる思いです。東京マラソンの主役はランナーではなく、ボランティア、運営スタッフの皆さんなのではないかと思うくらいです。給水所一つを見ても我々ランナーは通り過ぎるだけですが、ボランティアさんは最後までランナーを励ましてくれるわけですよね。また、コースを走っているメディカルランナーや、AEDを背負ってコースを自転車で走っているモバイル隊の方を見ると安心して走れますし、ペースセッターの方たちにも毎回助けられています。ランナーはありとあらゆるボランティアの方とスタッフの方に支えられていて、本当にありがたいです。
アボット・ワールドメジャーズの中でも東京マラソンはかなり走りやすい大会として評価されていると思いますが、それは東京という街、日本という国のコミュニティ力があるからだと思うんです。ですから、東京マラソンをきっかけに東京の街とライフスタイルを良くしていくミッションは心から共感できますね。
――それが社会における東京マラソンの価値ともなりそうですね。
そうですね。それから、ランナー同士の連帯感も物凄い。今、そういう形で人と人との絆を確認できることって、なかなかないじゃないですか。東京マラソンには全国、世界から多くの人がいらっしゃいますが、人と人の絆とか、そういうものを確認できる素晴らしい機会だなと思いますね。
――今、お話しいただいたことも含めて、茂木さんが感じる東京マラソンの一番の魅力はなんでしょうか? なぜ多くのランナーは東京マラソンを走りたいと思うのでしょうか?
まず客観的に見て、東京という街が世界で最も魅力的な街だと認識されているから、でしょうか。かつてのロンドンやパリ、ニューヨークといった世界的な都市と同じように、東京が世界のデスティネーションシティになっている。それは東京マラソンの果たした役割が大きいと、僕は思っています。
個人的なことになるのですが、昨年、僕が書いた『生きがい』という本がドイツのノンフィクション部門で年間ベストセラー1位になったんです。“生きがい”というものをひと言で言いますと、他人からの評価などは関係なく、自分がこれは喜びだと感じることなんですね。おそらく、僕も含めてランナーの皆さんにとって、マラソンは生きがいだと思うんです。生きがいだと思っているから走っている。だから、生きがいの国という日本の一つのあり方として、東京マラソンは存在しているのかなと思うんです。なぜ日本人はそんなにマラソンが好きなのかと言えば、“生きがい”だからじゃないのかなと思うんですよね。
――マラソンや走ることに対して何か潜在的に感じるものがあるのかもしれないですね。
生物の進化の過程で、人間の非常に大きな特徴は「移動する」ことなんですよ。人類はアフリカで誕生して、世界各地に拡散していったわけですよね。そして、人間は持久走が非常に得意だということが分かっている。他の動物と比べて短距離走は速くないのですが、長い距離を走ることができるんです。だから、長距離を走るという行為はある意味、人間という生物としての証しみたいなところがある気がするんですよね。
我々の生活はどんどん便利になって、それこそAIの進化は脳科学をやっている立場からも衝撃です。だけど、走る生きがいというものはAIにはない人間の生きている証し。技術が進んでいる時代だからこそ、みんな走ったり歩いたりすることに興味を持っているんじゃないですかね。生きる本能、と言いますか(笑)。
東京マラソンを背景にした映画があれば面白い
――東京マラソン財団は、「世界一安全・安心な大会」、「世界一エキサイティングな大会」、「世界一あたたかく優しい大会」を3本の柱にして、『世界一の街東京で、世界一の東京マラソン』を実現していきたいと掲げています。これについてどう思いますか?
素晴らしいことですね。自分の国に誇りを持つことは、逆に言うと、相手に対してリスペクトを持つということだと思うんです。外国のランナーが東京マラソンを走ると、ボランティアさんの丁寧さ、思いやりに強い印象を受けるようですが、武道にもある“礼に始まり礼に終わる”という日本文化特有の他者に対するリスペクト、あるいは日本人のユニークな脳の使い方が今、世界ですごく注目されているのを感じています。東京マラソンが日本人の良さやユニークな面白さを伝えるきっかけになってほしいですね。
――茂木さんにとって東京マラソンとは? #MyTokyoMarathon is…?
やっぱり、私にとっての生きがいですね。
――これからもチャリティ文化を広げていくため、ランナーに限らずチャリティ活動未経験の方々へ、その意義やメッセージをお願いします。
現代社会や世界は巨大になりすぎて、複雑にもなりすぎているので、自分では何も変えることができないと思っている人は多いと思います。僕もそう思ってしまうことがあります。でも、考えてみると、一人ひとりが集まれば凄い力になりますよね。また、脳は他人のためにと思うと、物凄い力が出るんですよ。だから、チャリティは自分が元気になる一番のきっかけにもなるわけで、実際に僕もチャリティランナーとして東京マラソンを走らせていただくことで本当に元気になっています。チャリティというものは世界のためであると同時に、実は回り回って自分のためでもあるので、ぜひ一人でも多くの方に関心を持っていただけたらなと思います。
――では最後に、今後の東京マラソンに期待すること、ランニングを通じたチャリティ文化のすそ野を広げていくために取り組んでほしいことなどを教えてください。
大会自体は十分に素晴らしいので、この素晴らしさをより国内、海外の人たちに知っていただくための広報活動をこれからも引き続き頑張っていただきたいなと思いますね。フィルムコミッションというわけではないですが、東京マラソンが出てくる映画とかがあれば面白いなと思いますね。東京マラソン財団の事務所がある西新宿周辺ですと、特に外国の方は『ロスト・イン・トランスレーション』のことを今でも話題にしますよね。なので、東京マラソンを背景にした映画、ドラマがあれば素敵だと思いませんか。将来、自分が東京マラソンを走っていると同時に、「あれ、映画の撮影もしているぞ」みたいな大会があったらいいなと思います。『炎のランナー』を超える名作を、東京マラソンでね(笑)。