Interview Relay ~42のストーリーで想いを繋ぐ~
全編「SHOW YOUR STORY.」東京マラソンという舞台で皆さんのストーリーを創っていただきたい
- 支える人
東京マラソンへの想いを42のストーリーで繋ぐインタビューリレー。その“スターター”を務めるのは東京マラソン財団の早野忠昭理事長です。
広報部長、レースディレクターを歴任するなど大会創設時から東京マラソンを支え続けてきた早野理事長に、インタビューリレー企画への想いを語っていただく過程で大会発足からこれまでの歴史と成長過程、約20年で大きく発展した要因、そしてこれからの東京マラソンに寄せて語っていただいたインタビューの全編をお届けします。
「東京がひとつになる日。」とともに歩んできた
――はじめに2007年に東京マラソンが始まった経緯、大会構想当時のストーリーについて教えてください。
はい。これは日本陸上競技連盟(陸連)と東京都がニューヨークやロンドンのような都市型マラソンをつくりたいという思いからスタートしました。これまでにも日本には福岡国際マラソンなどエリートのレースはあったのですが、市民型、都市型といったマスを含めた大会はありませんでした。また東京には青梅マラソンがあったのですが、30kmとフルマラソンではなく、都市型というものではありませんでしたので、ニューヨーク型のマラソンをつくりたいという思いが陸連、東京都の双方にありました。また、陸連としては世界に向けたマラソンの競技力向上という狙いがあり、東京都としてはシティプロモーションとして世界中から東京に来られる大勢のランナーや観光客、そして地域の人々が深い感動を味わうとともに、東京の観光名所や同時に開催する様々なイベントに触れ、スポーツと文化が融合した東京の魅力を実感できる機会としたかった。そうした中で双方が合意して都市型マラソンを創っていくことになりました。
――東京マラソンの開催初期はどのような様子でしたか? 思い出に残っている出来事などがあれば教えてください。
当時、都市型マラソンとはどういうものなのかと手探り状態でした。ただ、私はスポーツメーカーに勤務して海外で8年ぐらい生活していまして、逆に都市型マラソンというものを知っていた部分もありましたので、東京マラソン開催の1年前から広報部長として組織に加わることになり、どういった点を強調していこうかとまずは考えました。そして広報といいましても、都市型マラソンというものは大きな財務も必要になってくるので、そういった部分も盛り上げないといけません。広報でもありマーケティング担当でもある。そのような概念が当時の日本ではまだあまりなかったので、そこが自分の貢献できるところかなという気概で組織に参加しました。そうした想いが今、2024年に至る間に国内にある他の大会とはちょっと違う、メジャーとしての大会へとつながるスタートだったかなとあらためて思います。
――2007年に第1回目の東京マラソンを開催して、早野理事長には将来のビジョンなど何か見えてきたものがあったのでしょうか?
第1回大会を経験してボワッと自分の中に浮かび上がってきた言葉がありました。当時の定員3万名のランナーそれぞれに色々なドラマがあって、沿道に応援に来てくれた人、ボランティア、パートナー、大会関係者など色々な方たちを含めて、あ、東京マラソンは「東京がひとつになる日。」だったんだな、と。それで自分たちの仲間に話したところ、良い言葉ですよねという反響があって、翌年の2008大会から「東京がひとつになる日。」という言葉が定着していきました。
また、第1回、2回、3回と大会を経て、様々な立場で大会に関わる人たちの想いを引き出すメッセージを2020大会においては「SHOW YOUR STORY.」というキャッチコピーで表現しました。東京というプレミアムステージの中で、”皆さんはどのようなストーリーを見せてくれますか”、という呼びかけをしたんです。
そこには1回目から使っていた「走る喜び」「支える誇り」「応援する楽しみ」という、東京マラソン全体のテーマに彩られた一人ひとりのストーリーが明確に見えてきて、「東京がひとつになる日。」という言葉にも落ちていく。走る人はみんな違う想いや背景を持っていますし、年齢や男女の差もない、まさに今で言うダイバーシティですよね。それらのことを10年目に作成した大会ロゴでは色々なカラーや角度、幅のある線が折り重なったタペストリーのようなシンボルマークで表現しています。
東京マラソンには一人ひとり、それぞれの「SHOW YOUR STORY.」としてのドラマがありますが、俯瞰してみると色々な感動、喜び、苦しみ、助け合いなどが折り重なる「東京がひとつになる日。」。これまでを総括すると、その言葉とともに歩んできたのかなと思いますね。
――ということは、東京マラソン以降で東京の街が一番変わった出来事は1年に1度、「東京がひとつになる日。」ができたということでもありますね。
そうですね。今や春先の風物詩になりつつありますが、トップはトップで競い合い、市民は市民で楽しむという一つのフェスティバルのような1日が繰り広げられることで東京マラソンの総体的な意味を成すのかなと思います。
また、世界メジャー大会(アボット・ワールドマラソンメジャーズ)には2013年から加入することになるのですが、私たちは2010年から世界メジャー参画に向けて努力してきました。当時の東京マラソンは低い二等辺三角形のようなイメージで、一般ランナーの部には広がりがあるのですが、エリートの記録が今一つ上がっていない。そこで財務面からもしっかりと投資して世界トップのランナーを呼ぶことで三角形の頂点が上がっていき、低い二等辺三角形が大きな正三角形になった。今の東京マラソンは、この理想の姿を実現できていると思っています。底辺も広く、頂点も高い。そうなっていくことを開催当初からイメージしていました。
世界一の大会を目指すための三本柱
――東京マラソンの存在価値について、初期からどのように考えてきたのでしょうか?
私たちは基本的には一般ランナーの皆さんに向けて大会を開催しているわけですが、どうすれば皆さんに「東京マラソンを走りたい」と思っていただけるのか。やはり人は向上心がありますし、日常の生活があった上で非日常的な体験もしてみたい――それができるのが東京マラソンだと考えています。
そのために私たちはブランディングに気を付けてきましたし、皆さんが考えていることよりも一歩先のことを提案できるようにしてきました。エリート部門に関しても「こんなすごい選手が来るのか!」という驚きだったり、あるいはボランティアも含めてこんなホスピタリティ、こんなエキスポがあるなど、皆さんが驚いて、喜んで、エキサイティングな経験をしていただく。もしくは、30kmぐらいで本当につらくて走るのをやめたくなったけど頑張った自分を褒めてあげたいという人もいるでしょう。そうした色々なストーリーがある大会にしていきたいと、これまでずっと努力してきたつもりです。
――では、そうして早野理事長が目指してきた東京マラソンのこれからの話についてお伺いします。2027年、節目の第20回大会を迎えるにあたり「世界一安全・安心な大会」「世界一エキサイティングな大会」「世界一あたたかく優しい大会」の三本柱を掲げました。これについて、あらためて説明をお願いしてもいいでしょうか。
16回、17回と大会を重ねるごとに東京マラソンというものが単なる大会ではなく、社会貢献やチャリティやボランティアの分野をはじめ、当初から目的にしていたシティプロモーションや観光への寄与、経済効果で言いますと今や520億円を超え、事業規模も16億円くらいで始まったものが現在財団の事業規模は約59億円になり、大会としても世界規模の大会のひとつになれました。
今の東京マラソンは、まだ世界メジャー6大会の中ではトップ3くらいかなと感じています。もちろん、市民の盛り上がりや日本人特有のきめ細かいホスピタリティ、あるいは街の力は素晴らしいものがあります。毎年、海外からたくさんの人に来ていただいて、2024年は出走ランナー約3万8000名のうち約1万4000名が海外のランナーでした。2025大会はさらに上回る人数になりそうです。これは、世界からの評価が年々高くなっているということの表れでもあります。だったら世界一になりたい。では何をもって世界一になるか。そこで明確な目標として掲げたのが三本の柱です。
まず「世界一安全・安心な大会」。これは救護体制などいかに二重、三重にして人を救う仕組みをつくっていくのか。東京マラソンでは事故が起きた時でも早い対応で命を救えたという例が過去にもありました。
2番目の「世界一エキサイティングな大会」。これはエリート部門でオリンピックメダリストが走る、世界記録が出るかもしれないというすごいレベルの選手がそろった中で自分も同じレースを走った興奮や、あるいは長く抽選が当たらなかったけど今回ようやく東京マラソンを走ることができた感動。それらエキサイティングなシーンが世界一たくさんあるような大会にしていきたいです。
そしてやっぱり、ボランティアの皆さんの素晴らしいホスピタリティに触れ、チャリティでも社会全体に貢献しているという「あたたかく優しい」東京マラソンの側面も見て、感じていただきたい。
これらそれぞれで世界一を目指していけば、もしかしたら2027年にはみなさんから世界一の大会は東京マラソンだよねと言われるように25年、26年、27年とホップ・ステップ・ジャンプして行きたいと考えています。2025年はその一歩目ですので、世界一に少しずつ近づけるように東京マラソン財団のメンバー全員が目標に向かって努力しているところです。
最初は世界メジャー大会入りを目指していましたが、より参加者にも街にも価値ある大会を目指していくためには明確な目標が必要です。であれば世界一を目指そう。では、何をもって自らが世界一と言えるのか?この「何をもって」の柱がこの3つだと思っています。そして私たちがこの3つに対して事業として常に新しい策を加えながら、走った人、見た人が「東京は世界一の大会だね」と自然と言葉が溢れる、そんな世界一を目指していきたいですね。
――東京マラソンを通してどのようなメッセージを伝えてきたのでしょうか?
新型コロナウィルスが拡大した影響で2020大会はエリートのみの開催となりました。2021大会は参加者を減らし、一度延期となりましたが、「もう一度、東京がひとつになる日。」、そこに想いを込めて、みんな東京においでよと呼びかけました。そして復活した最初の大会である2023大会は「ONE STEP AHEAD」。この言葉に込めた意味は、物理的に一歩先に踏み出そうという想いもあるのですが、単なる大会ではなくて概念的な部分で競技力の向上や、皆さんの幸せ感などに対して深いところで関わっていけるような、マラソン大会の価値のもう一歩先にあるイベントになっていきたいと考えています。
もう一歩先の1つ目として2024大会で出したテーマが「Tokyo, My favorite place…」。これは単に東京を走るだけでなく、食べ物が美味しかった、景色が良かったなど「to eat」でも「to visit」でも「to live」でもいいと思います。走り終えた後にボワッと浮かんだ言葉を東京マラソンで感じていただきたいという想いを込めたメッセージです。参加ランナーは3万8000名というすごい人数ですが、何を考え、どんな想いで東京マラソンを走り、どんな気持ちで帰っていくのか、それぞれ感じることは違うと思います。
大会ごとにキャッチコピーは違えど、関わる皆さんが東京マラソンに共鳴し、大会を通して参加者も、社会へもポジティブな変化を感じられるようなメッセージを発信してきました。
人の幸せをつくる、それがこれからの目標
――2027年以降の展望、未来像も早野理事長の頭の中にはすでにあるのでしょうか?
実は「Fusion Running(フュージョン・ランニング)」という言葉をよく使います。走った後のビールが美味しいから、ランニングファッションで可愛いと言われたいなど、「Fuse(融合する)」という動詞に「anything you like」、あなたの好きなものを何でもランニングに重ねる。それがあなたの「Fusion Running」です。「Fuse Fashion」「Fuse Music」「Fuse Beer」「Fuse Travel」、いくらでもあります。「私のランニングってファッションなの」、もちろんいいじゃないですか。「俺、走り終わった後にあそこの店の地鶏を食べるのが好きなんだよ」、そういう人ってたくさんいますよね。だから、一般の市民ランナーが楽しくて満足感があり、でも挑戦して自分を褒めてあげる、そうした自由度のあるランニングを広めていきたい。
その真ん中にいるランナーを私たちはパートナー企業の皆さんと一緒になって、ファッション、トラベル、栄養など色々なもので支えていく。この一人の幸せのために作っていくような柔軟性と、B to Bのビジネスが生まれていくというマーケティング的な意味合いも含めて広げていった結果が、先ほども申し上げた事業規模にもなった理由だと思います。また、チャリティの分野もすごく広がっていきました。
人の幸せって便利で効率的な部分、例えばスマートフォンで猫ちゃん元気かなと確認できるようなICTやAIに支えられる社会に小さな幸せを感じることができる。でも、いくら便利な世の中になっても健康じゃなきゃダメですよね。そこに音楽やアート、スポーツなどがあるのが素敵な社会で、そういった身近なことに幸せがあると思うんです。それで私たちは東京マラソンの中で2023年に「Fusion Running」の一環でスポーツと音楽の融合をしましたし、2024年はアートの世界と融合して楽しかった。繰り返しになりますが、人は音楽、スポーツ、アートなどの世界が自分の周りにあると幸せ感がすごく広がる。そういう世界を作り、人の幸せ感もつくっていくのが東京マラソンの第2世代、第3世代の目標ですね。
――人の幸せをつくる、すごく壮大ですね。
いえいえ、壮大に聞こえるかもしれないですが、実はすでに東京マラソンとしてやっていることそのままでもあるんですよね。チャリティにしても最初は東京マラソンの出走権利が欲しくて申し込んだという人もいると思いますが、寄付事業の先の子どもたちから「ありがとう」とお手紙が届くと嬉しいじゃないですか。そうしたことが積み重なってチャリティの本質に近づいてきているとも思いますし、助け合う社会、効率的な社会、またウェルネス、ウェルフェアな部分があって人は幸せになっていくわけですから、そういう世界を包括的に作っていけるように色々な組み合わせを掛け算で考えています。人間が欲する本能的な部分や感動する部分はなかなか説明できないもので、AIでも分からないと思います。そういうものを東京マラソンとして演出できればと思っています。
早野理事長の「My Tokyo Marathon is….」
――先ほど、海外からのランナーが年々増えているというお話がありましたが、国内・海外を含めて、なぜ世界中のランナーは東京で走りたいと思うのか。早野理事長はどのように考えていますか?
海外の人は日本の良さに関して、食べ物、親切心、安全、街がきれい、電車が時間通りに来るなど、ということをよく言いますよね。ですから、世界中のランナーが東京マラソンに参加したいと思ってくれるのは大会の力だけだとは思っていません。外国人が日本に走りに来る理由は「Fuse Travel」、「Fuse Experience」だと思うんです。東京マラソンを走るんだったらついでに家族旅行にしてみた、そうしたら食べ物や親切など色々なものに出会えた。そういうことで日本の単純な良さがやっと外に知れ渡ったんだと思います。東京マラソンだけの力ではなくシティプロモーションとして一緒にやってきた成果だと思います。
街づくりという観点において、他の地域ではなかなか東京マラソンのようにはできないと思います。そこで東京マラソン財団としては色々な大会のコンサルティング的なことも次の事業として考えていて、実際に問い合わせは多いです。ですから、私たちがポータルの役割を果たして、東京マラソンに来た人や応募した人に各地の面白そうな大会を紹介する。そうした提携をしながら国中の大会が良くなり、結果として走る人が増えて健康寿命の延伸にもつながっていくようなことを成しえて、次の世代、次の理事長にバトンタッチしていきたいと思っています。
――今回のインタビューリレーでは早野理事長が一人目、スターターでもあります。今後の41名にはどのようなメッセージをつないでほしいでしょうか?
私たちとしては「東京がひとつになる日。」が毎年進化するように目指して活動しており、今回も理事長として東京マラソンの過去から未来のビジョンも含めてお話しさせていただきましたが、私たちが考え付かないような「それ、いいね」という意見もたくさん出てくると思います。みんなで東京マラソンをつくっていきたいと思っていますので、あらゆるステークホルダーがいろいろな立ち位置で正直な意見を言っていただき、進化のきっかけになれば素晴らしいと考えています。
――では最後に、早野理事長にとっての東京マラソンとは?
私はこれまで様々な経験をしてきましたが、その軸にいつもスポーツがありました。そして、常にスポーツがもっと社会の中心に入っていくことでより良い社会の循環が生まれると考えています。大げさかもしれませんが、今や東京マラソンは日本の社会にとって重要なファクターになっていると自負しています。人の幸福感を支えるものとして東京マラソンが年々やってきたことは、自分の仕事の中でも最高傑作だと思っています。そして、それは私自身の作品としてというよりも、皆さんがそれぞれのストーリーを描くプラットホームにしていただいて、「My Tokyo Marathon」という形で発揮するステージとして使っていただくものであって欲しいと考えています。
東京マラソンは、いかに安全で、エキサイティングでやさしいプレミアムステージを用意しているだけです。その舞台で皆さんがご自身のストーリーを自己編集で創っていただきたい。それが「My Tokyo Marathon is…」における私からのメッセージでもありますし、皆さんに最高の舞台を提供するためにやってきたことが私の仕事としても最高傑作でもあります。ぜひランナーの皆さん、一人一人が自己編集で創る「SHOW YOUR STORY.」を期待しています。